研究活動

圧痕法の歴史・成果

英国での圧痕穀物の認識

 管見によれば、英国において穀物の土器圧痕はすでに20世紀初頭には注目されていました。1944年に出版されたJessen K. and Helveak H.の『Cereals in Great Britain and Ireland in prehistoric and early historic times(先史時代および初期歴史時代のグレートブリテンとアイルランドにおける穀物)』をみると、20世紀前半にはすでに圧痕のもつ考古学的意義とその成因に対する認識が充分であったことが分かります。

Knud Jessen and Hans Helbeak 1944表紙 本書では、穀物資料の種類として、炭化穀物とともに穀物圧痕が注目されています。そして穀物圧痕をもつ新石器時代からアングロ・サクソン期(5~11世紀)の穀物圧痕がある土器についての紹介がなされています。この中で注目されるのが、圧痕穀物のある土器の時期が重要であり、これによってイングランドにおける農耕開始時期を決定するという考えです。この中で取り上げられた最も古いとされる穀物圧痕を持つ土器が、Windmill Hill Potteryであり、当時はBC3000年と考えられていましたたが、現在ではBC3800~4000年頃とされています(藤尾2003)。

 さらに、ここでの卓見は、すでに穀物圧痕の成因についての言及があり、穀物圧痕は手作り土器の場合にのみ見られ、専業的な陶器生産になると圧痕は見られなくなるという点です。よって、ローマ占領期には穀物圧痕はないとされています。

 もう一つの卓見は、土器の穀物圧痕は、穀物が落ちている場所、例えば食べ物が準備された炉の周囲で作られたこと、また、圧痕が完成された土器表面に押し当てられて形成されたのではなく、粘土の生地に紛れ込んだものが、偶然土器表面に表れて、内部の炭化物が落ちて、表出圧痕となることを指摘した点です。また、焼けた土器に圧痕を作ることは不可能であるため、圧痕は土器と同時期であるとも述べています。

イギリスの穀物圧痕土器 さらに、粘土の粘度が適度であれば、圧痕は種同定のための優れた形態学的根拠となり、圧痕は穀物が湿った状態での大きさを再現すると述べています。そしてErode Christensenによる一連の実験を通して実証された、「焼き粘土の穀物の圧痕は、それを形成した穀物と同じ形と大きさである」という結論を付け加えています。

 以上のことは、①土器の製作が、食物貯蔵が行われ、それらの調理や食物加工を行った家屋内で行われたたこと、②圧痕は粘土生地に混入した(混入された)穀物や種実によって形成されるもので、土器成形後または成形中に外部から押し当てられたものではない(このようなものはきわめて少ない)こと、③圧痕の形態は粘土中の水分を吸って膨張したプロポーションを保ち、土器焼成によって縮小すること、④これらのタフォノミーを考慮した上で、その形態の変遷をたどれば、栽培化の過程を復元できること、⑤圧痕種実や昆虫は紛れもなく土器製作時当時のものであることなど、私たちが今日考えていることのほとんどがすでに80年近く前に考えられていたことを示し、非常に驚かされます。

 穀物圧痕の成立について、M. レンフリューは以下のように説明しています。「粘土はしばしば屋内炉の傍で成形され、炉は調理用にも用いられた。したがって、迷った穀物が食事の準備中にこぼれ落ち、湿った粘土に入り込み、それゆえ容器の器壁中に埋め込まれた(Renfrew 1973, 15-16頁)」。また、山内清男(1969)もクルミやドングリの例ですが、「当時の土器づくり(女性)の身近に、食料またはその残りかすがあったことをものがたっている。」と述べており、屋内とは限定していませんが、土器作りに関しては屋内での作業を想定しているようにも思えます。

 博物館のジオラマなどで、野外で土器作りを行っている作業風景の復元をよく目にしますが、上記のような屋内での土器作りはこれまでの土器研究においてはあまり注目されてきませんでした。これを間接的に証明するのが、混入した栽培植物や有用植物の種実以外に、コクゾウムシなどの家屋害虫圧痕の存在です(小畑2013・2014)。この屋内土器製作説を証明するように、最近、竪穴住居址内に置かれた生粘土や砂などの原材料が発見されています(櫛原2014)。


日本における圧痕レプリカ法の歴史

 日本においても、およそ100~90年ほど前に、坪井正五郎や山内清男が底部敷物や籾の圧痕を石膏などで型取りし、その研究上での可能性を示していました(中沢2014)。しかし、最近の土器圧痕調査による成果の基礎を作ったのは、1990年代初頭に圧痕レプリカ法の手法を世に紹介した丑野毅氏です。丑野氏は、圧痕レプリカ法を、シリコーンゴムを用いてレプリカを作成し、それを走査型電子顕微鏡で観察・同定するものと定義し、石器の使用痕や植物種子同定にも適応できることを示しました(丑野・田川1991)。それを実際の考古資料に適用し、植物利用史や農耕史の検証を行ったのは中沢道彦氏です。この中沢氏の貢献によって、圧痕法が先史・古代の種実検出に有効であることが立証されました(中沢2005)。さらに大きな貢献として、縄文土器の土器片の悉皆調査法を採用した山崎純男氏の業績があります(山崎2005)。山崎氏の研究によって、これまで籾圧痕などの偶然に発見された種実圧痕が研究対象となってきた従来の方法に対し、意識的に多数の未検査の土器から種実圧痕を検出する方法への転換が図られ、これによって多数・多種の種実・昆虫圧痕が検出され、縄文コクゾウムシの発見に結びつきました。本手法は今日の圧痕調査の基本手法として採用されています。

この土器の悉皆調査法は、その後の小畑らによる縄文ダイズの発見(小畑ほか2007)、関東・中部地方における最古のダイズの発見(保坂ほか2008)へ結びつき、縄文時代におけるマメ栽培が提唱されるきっかけとなりました。さらには関東地方を中心とした弥生土器にも適応され、当地における穀物流入と展開の研究に大きな成果を挙げています(守屋2014)。その後も各地で圧痕レプリカ法を用いた調査は行われ、多数の穀物・栽培植物圧痕が検出されていますが、この成果は、栽培植物の発生と地域的な広がりの研究のみならず、さらに発展し、圧痕の比較による地域間や集落ごとの違いなど、植物利用を基軸とした集落論の基礎資料としての役割を果たすまでになっています(山本ほか2018)。


もう一つの圧痕法

しかし、土器レプリカ法による土器圧痕調査が進展し、さまざまな考古学的議論の材料となるにつけ、問題となるのが、潜在圧痕の存在です(真邉2011)。先に述べたように土器表面に現れた種実圧痕も本来は粘土生地に練り込まれたものが偶然に土器表面に出たものであり、本来はもっと多くの土器器壁内に隠れた圧痕(潜在圧痕)が存在するはずです。この証明は、レントゲン検査とX線CTスキャナーによる調査によって中山誠二氏によって最初に証明されました(中山2010)。その後、真邉・小畑らによるコクゾウムシの潜在圧痕の発見(真邉2011,真邉・小畑2011)、小畑によるエゴマを多量に入れた土器の発見(小畑2015)、小畑による突帯文土器期の多数の大陸系穀物潜在圧痕の発見(小畑2019)などによって、潜在圧痕を無視しての議論は成り立たないことが明らかになりました。また、最近発見が相次いでいるマメ類やエゴマなどの多量の種実を混入した土器中の種実の数を計数・計算するためにX線機器やX線CTスキャナーなどによる調査が必須的に行われています。同様のX線機器による検証によって、北海道館崎遺跡では、縄文時代後期の深鉢形土器にコクゾウムシ成虫が推定501匹練り込まれていたことが明らかにされています(OBATA et al. 2018)。


引用・参考文献
  • 丑野 毅・田川裕美 1991「レプリカ法による土器圧痕の観察」『考古学と自然科学』24,13-36頁,日本文化財科学会
  • 小畑弘己 2013「土器圧痕・生体化石資料の比較検討による縄文集落における植物性食料の貯蔵形態と家屋害虫の実証的研究」『特別史跡三内丸山遺跡年報16』,40-50頁
  • 小畑弘己 2014「三内丸山遺跡からみた貯蔵食物害虫Sitophilus属の生態と進化過程の研究」『特別史跡三内丸山遺跡年報』17,76-85頁,青森県教育委員会
  • 小畑弘己 2015「エゴマを混入した土器-軟X線による潜在圧痕の検出と同定」『日本考古学』40,33-52頁,日本考古学協会
  • 小畑弘己 2019「農耕受容器土器の圧痕法による潜在圧痕検出とその意義-佐賀県嘉瀬川ダム関連縄文遺跡の分析結果から-」『農耕文化複合 形成の考古学』上巻,161-175頁,雄山閣,査読無
  • 小畑弘己・佐々木由香・仙波靖子 2007「土器圧痕からみた縄文時代後・晩期における九州のダイズ栽培」『植生史研究』15-2 97-114頁 日本植生史学会
  • 櫛原功一 2014「前付遺跡発見の砂貯蔵土器-縄文時代の土器製作はどこで行われたのか-」『公開シンポジウム 混和を伴う縄文時代の土器作り-阿玉台式土器と土器原料- 資料集』,81-91頁,帝京大学文化財研究所
  • 中沢道彦 2014『先史時代の初期農耕を考える-レプリカ法の実践から-』,日本海学研究叢書,76頁,富山県観光・地域振興局
  • 中沢道彦 2005「山陰地方における縄文時代の植物質食料について-栽培植物の問題を中心に-」『縄文時代晩期の山陰地方』,第16回中四国縄文研究会発表資料,109-131頁,中四国縄文研究会
  • 中山誠二 2010『植物考古学と日本の農耕の起源』302頁 同成社
  • 藤尾慎一郎 2003「新石器時代観の変化-ブリテン考古学を中心に-」『弥生変革期の考古学』,183-200頁,同成社
  • 保坂康夫・野代幸和・長沢宏昌・中山誠二 2008「山梨県酒呑場遺跡の縄文時代中期の栽培ダイズGlycine max」『山梨県立考古博物館・山梨県埋蔵文化財センター研究紀要』24 23-34頁
  • 真邉 彩 2011「X線CTによる土器中の種子・昆虫圧痕の検出」『國際심포지움 東아시아 植物考古學의 現況과 課題』85-91頁,서울대학교 인문대학 신양인문학술정보관
  • 真邉 彩・小畑弘己 2011「X線CTによる潜在圧痕の検出」『日本植生史学会第26回大会講演要旨集』,82-83頁,日本植生史学会第26回大会実行委員会
  • 守屋 亮 2014「東京湾西岸における弥生時代の栽培植物利用-レプリカ法を用いた調査と研究-」『東京大学考古学研究室研究紀要』28,81-107頁,東京大学大学院人文社会系研究科・文学部考古学研究室
  • 山崎純男 2005「西日本縄文農耕論」『韓・日新石器時代의農耕問題』 33-55頁 慶南文化財硏究院・韓國新石器學會・九州縄文硏究會
  • 山内清男 1969「縄紋時代研究の現段階」(再録)『先史考古学論文集(二)』,193-214頁,示人社
  • 山本 華・佐藤亮太・岩浪 陸・佐々木由香・森山 高・中野達也 2018「埼玉県犬塚遺跡の種実圧痕から見た縄文時代前期の植物利用」『古代』142,1-22頁,早稲田大学考古学会
  • Jessen K. and Helveak 1944 Cereals in Great Britain and Ireland in prehistoric and early historic times
  • OBATA H., MORIMOTO K. and MIYANOSHITA A. 2018 Discovery of the Jomon era maize weevils in Hokkaido, Japan and its mean. Journal of Archaeological Science: Reports 23, pp. 137-156. https://doi.org/10.1016/j.jasrep.2018.10.037
  • Renfrew J. M. 1973 Paleoethnobotany-The prehistoric food plants of the Near East and Europe. p.248, Methuen and CO LTD.
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