本領域研究の目的と意義
考古学に与えられた主たる学問的使命は「文字のない時代の人類史の構築」であり、未来へ向けた新たな価値観の創出でもある。自然災害や地球規模の環境悪化、感染症の蔓延、戦争やテロの脅威など数多くの問題を抱える現代社会において、歴史学研究の対象時期の9割以上を占める考古学の役割は大きいはずである。しかし、近現代考古学が目指した人文科学に基盤をおく発見第一主義の「歴史学」としての日本の考古学は発掘件数の減少とともに、今や曲がり角に来ている。このような社会的・学術的背景の中、本研究領域は、調査・研究対象を、遺跡ではなく、遺物の主体を占め、考古学社会の矮小化のためその将来的保存や管理が不安視されている土器に向ける。
土器は、これまで、考古学において、時代と空間の繋がりや境界(連続性と不連続性)を定義し、人間社会の縦横の繋がりを解明してゆく骨格の機能を果たしてきた。日本では、世界でも類を見ない密度で、さまざまな開発を原因とする行政発掘調査により、土器による時間と空間の整理が進み、今やその役割を終えつつあると言えよう。しかし、領域代表者をはじめとする研究者の近年の研究成果によって、土器に、農耕や生活と関わりの深い種実や昆虫など、「人の暮らし」をより詳細に復元する情報が眠っている(埋蔵されている)ことが明らかとなった。そこで本研究領域は、土器の分析に、考古学のみならず、新たに植物学・昆虫学・農学・薬学・化学などの多様な周辺自然科学分野からの科学的視点にX線技術やAI技術を加えることで、従来考古学者の目に見えなかった土器中の資料群を可視化し、植物栽培(農耕化・定住化)の歴史とその人類に与えた影響に関する新たな情報の抽出・分析を試みる。「農耕化が人類に何をもたらしたのか」、この人類史的命題に答えることは、農業(農耕)を基盤とする現代人類社会の歴史的評価にもつながる。
本領域研究は、日本をモデルとして、遺跡から土器を発掘するように、全国に保管されている整理済み・整理中の土器から新しい情報を発掘し、より詳細な社会と人々の暮らしと精神性を復元する「土器総合分析学」を提唱し、その方法の構築と有効性の実証を目指す。また、本研究はその成果をやがて我が国と同様に土器が時代と空間を整理する役目を終えた段階に到達する諸外国に対して、考古学を深化させてゆく具体的な研究モデルとし て示すことができることから、世界規模の需要が期待できる先駆的な取り組みといえよう。さらに、将来的には、本研究で開発した手法以外にも、より多様な先端科学技術による既存考古資料の再評価を行う手法を開発し、22世紀型の考古資料学の創設を目指し、考古学や歴史学を取り巻く社会の変革にも貢献したい。
- 領域代表者
- 小畑 弘己(熊本大学)